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2015-01-28 02:12    グッチ財布メンズ長財布
 この恐ろしい飢饉が、琉球にはしばしばやってきた。尚象賢が国政を担当したのは、とくに琉球の財政が窮乏の極に達したときであった。そういう時期に、彼は�日琉同祖論�を唱えたばかりでなく、自分の邸内に�大和《やまと》御神《んちやん》�をまつったという。  その動機はなんであったか。征服者であり、大和の代表でもあった薩摩におもねるためであったのか。  これについて、琉球政府立博物館の元館長で、現在琉球史料研究会会長の山里永吉氏はその著『壺中天地』のなかで、つぎのごとくのべている。 「日琉先祖を同じうすると考えることによって、敗戦の心理的劣等感を解放し、同時に薩摩の政治的圧迫から、わずかに救いの光明を求めようとしたのであろう。実際、薩摩を異民族と考えて、その異民族から征服されていると思うよりも、薩摩が先祖を同じうする同一民族だと考えたほうが、摩擦を少なくし、精神的苦悩があるていど、克服されるのである。羽地朝秀(尚象賢)の日琉同祖論は、けっして征服者たる薩摩に呼びかけたものではなく、国内のすべての同胞に納得させるためのものであった」  主人から奴隷に近いあつかいをうけているものが、もとをただせば自分も主人と同じ血を引いているのだと考えることによって、その苦痛が半減するというのである。だが、逆にこれによって苦痛が倍増し、抵抗意欲をそそる場合もありうる。  一般には、弱小民族が強大な民族に征服され、吸収された場合には、宣撫工作のひとつとして、征服者の側から同祖説が唱え出されるのが普通である。日本の神話のある部分は、征服者である天孫民族と、被征服者である出雲民族との同祖説を信じさせるためにつくられたものだともいわれているが、太平洋戦争中にも、日本軍の占領地域で、それに似たことが、かなり計画的におこなわれた。逆に被征服者の側から、そういうことをいい出すものが出ると、同じ民族のなかで�裏切り者�のあつかいをうけることが多い。ところが、琉球では、被征服者の苦痛緩和剤として同祖説が唱え出されたという。  それはさておいて、ある琉球の故老がわたくしに語ったところでは、天孫民族は琉球を通って日本列島に移動したのであって、琉球人は大和民族の正流であり、本家である。琉球に今ものこっている古いやまとことばは決して日本本土からきたものではない。現に石垣島には�天の岩戸�がある。これに反して現在の日本人は、日本列島の先住民族や天孫民族のあとにきた諸民族との混血であり、雑種だというわけだ。  ハワイや南米各地の�勝ち組�に琉球出身者の多いことは前にのべたが、これは琉球人こそ純粋の天孫民族だという強い信念とつながっている。そこで、終戦直後�米よこせ�のデモ隊が皇居におしよせたというニュースが伝えられたとき、琉球人のあいだには、江戸っ子はダラシがない、今こそ天皇を琉球に迎えるべきだと大まじめに唱え出したものもいたという。  [#小見出し]日本にたいする足がかり  東京は千島列島と琉球列島のちょうど中間に位している。かつての日本にとって、千島が�北の門�だったとすれば、琉球は�南の玄関�であった。今やどっちも、人手にわたってしまった。  琉球の�潜在主権�は今も日本にあるというが、日本人の入国はきびしい制限をうけている。しかもその制限の基準が、日本人の常識に反していて、入国を拒否された人々のなかに、蝋山政道氏、中野好夫氏などもあるときいてびっくりした。  わたくしがUSCAR(米国民政府)のさる高官に会って、その不可解、不合理について質問したところ、彼は答えた。 「それなら、現在、日本人は千島へ自由に行けますか」  この論法をもってすれば、日米関係も日ソ関係と大してかわりはないということになる。これまでアメリカがあの手、この手をつかってやってきた対日PRに水をぶっかけたようなもので、まさに百日の説法|屁《へ》ひとつだ。  アメリカの玄関にあたるのはキューバ島である。これにソ連の勢力がのびてきたときのアメリカのあわてかたは、だれもが知っている通りである。  今から約一世紀あまり前、堅くとざした日本の門をコジあけようとしてやってきた国々は、まず琉球に目をつけた。アメリカもそのひとつだ。